乳がんなんて他人事だと思っていた私が、
今に至るまでの日々を書き綴っていきます。
治療中、情報探しにネット検索しまくりました。
そのとき、解説書よりも力になったのが実際の体験者の声。
だから私も誰かの力になれたら・・・そんな風に思っています。
そんなそらことわたくし、今では立派なおばちゃん(ง •̀_•́)งの部類に入りますが、若いときには仕事を幾つもかけ持ちして貯金し、アメリカへ単身ワーキングホリデーに行ったことのあるやりたいことは頑張って突き進むタイプ。
20代で結婚・出産。でも切迫流早産の危険から入院を数回。
結局1か月の早産だったため、母乳が全く出ず、今思えばこれも乳がんの引き金だったかも知れません。
出産後1年経たずに夫と別居・離婚。その後は必死に働いて息子を育ててきました。
息子は私と全く正反対な性格、のんびり屋(。・ω・。) で頑張ることが嫌いなタイプ。
いわゆるゆとり世代です。
学校の先生からの呼び出しも良くありました。いつも家では私が父親代わりに叱ってばかり、会社でのストレスだけではなく、家でもキツイ。
途中再婚も考えましたが、息子から手が離れて、そうしたら悠々と暮らそう!と思っていました。
そんな息子と2人3脚で頑張り、やっと息子が高3、あと数か月で自分自身にやっと時間とお金が回せるなぁと思った矢先、乳がん発覚です。
がん保険も後回しでした。事前に「これに入るぞ!」と既に保険会社もコースも決めてあったのですが、間に合いませんでした。(T_T)
それからは抗がん剤でボロボロになっていく身体を自分で励ましながら、仕事を続けました。
そのとき勤めていた会社は病気に理解があり、通院・入院でお休みも取らせていただいていましたが、小さな会社でしたので、部署内の人への負担が目に見えて増してきました。
申し訳無い気持ちでいっぱいでした。
元気な人が新入でくれば皆にも迷惑がかからないのでは?と思い悩み、
息子が独り立ちしてからは、後は自分が細々と食べていければいいのでは?
最悪、あと数年の時間しか私には残されていないとしたら、このままの生活でいいのか?と疑問になり、スパッと仕事を退職したのでした。(といっても半年は悩んでいましたが・・ 😳 )
さあ生活を見直し、頑張らなくては!と意気込んでもひとり身なので、無論生活費や高額な治療費は自分で何とかしなくてはいけません。
だってトリポジは、(前主治医・くまちゃん先生からそんな言い方は無いのだよと言われましたが、あえて言います)一番治療費のかかるサブタイプですからね!【病歴はHOME画面に表があります】
試行錯誤しながら必死に生活して、現在ではオペ後6年経過しました。高額な医療費からは解放されましたが、自分の体調と相談しながら派遣社員で奮闘中。
2020年初夏、脱・おひとりさま。籍はまだ入れませんが、大切な人と共に手を繋いでこれから助け合って生きて行こうと決めました。
ひと続きの広―い空をいつも見上げて、心は自由に大空を羽ばたきます!
なせば成る 為さねばならぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり 【上杉 鷹山】