さようなら、お父さん。

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先週、大好きな父が空へと旅立ちました。沖縄生まれで三線を奏で、沖縄民謡をこよなく愛した父。今頃は沖縄へ飛んで戻っているのかもしれません。

昨年末に原発不明転移がんが判明、糖尿病や本人の希望で抗がん剤治療をせず、自宅療養となりました。寝たきりになって2ヵ月ちょっとで旅立ち、その最期のときに私は立ち会えませんでした。

義理の弟のお嫁さんからの電話は、日野から帰った仕事始めの日。「昨夜11:20頃に亡くなりました。後のことは決まり次第お知らせします。」とのこと。「苦しまないで他界しましたか?」との私の問いに「はい、モルヒネも一応申請していましたが、使わずに亡くなりました。」と。

流れ出る涙を止められず、母方に知らせる連絡係である私は、すぐに実弟と私の息子、母に連絡しました。良く虫の知らせがあると聞いていましたが、その前の晩のその時刻に私は疲れて眠っていただけでした。すぐにでも飛んで駆けつけたい気持ちと新しいご家族でさぞ多忙だろうとの思いが交差し、悩んでいたところ、事情を聞いた会社の上司が「行った方が良いよ。」と。

それでも整理のつかない頭で良く考え、父とのお別れはお通夜などの式のときにと決めました。私が小学生の時に両親が離婚して以来、ほんのたまに会うだけで、父が闘病生活を送っていても何も手助けができなかったのですから。

数日後、本人の希望通り、身内のみで見送りました。息子や弟、その息子家族全員で向かいました。あちらもご家族のみ。「お父さんの希望通りにしないとドヤされるはずだから・・」と喪主である義理の弟はしっかりと取り仕切っていました。ありがとう。

棺に入った父の顔を見て「お父さん・・・」と涙で取りすがるのみの私。父の顔はとても穏やかでがんがわかってからの余生を思い通りに全うしたのだなとすぐにわかりました。

父の最期はおばさま1人で看取ったそうです。夜、睡眠中の父の寝息がゴロゴロしていたため、痰を吸引していたときに一度息が止まり、でもすぐに戻りを2回繰り返し、直後に3度目が起きた時には、もう身体を叩いても戻らなかったそうです。聞けば、数日前から食欲が無くなり、それまでパンパンだった腹水が少しずつ減ったそうです。父の顔は浮腫むことなく、いつもどおりの寝ているかのようなお顔でした。

ちょうど私がストローで飲みにくいだろうと専用のコップなどを送った数日後に亡くなりました。「あのやわらかいストローを始めはわからず噛んでしまったけれど、慣れてあのコップで飲んでいたわ。お見舞いにもらったマンゴーもおいしいって食べていたしね。」と介護を一手に引き受けていたおばさま。本当にありがとうございました。義弟夫婦も本当にありがとう。今となっては何もできなかった自分を反省することしきりです。

前回お見舞いに行ったとき、しゃべるのも苦しそうな父に「疲れない?」と気遣うと『実の娘が来て疲れるやつがあるか!』と力を振り絞って、それまで聞き取りづらかった言葉とは違いはっきりとしゃべってくれた父を思い出します。

お父さん、孝行娘ではなかったけれど、あなたがとても大好きでした。怒るととてもコワイ父でしたが、愛情に溢れ、人生で好きなことをいっぱいやって最期まで自分の意志を貫き、あんなにご家族に愛されて幸せな人生だったと思います。長期の寝たきりにもならず、最小限の負担で逝ってしまったあなたを見習い、私もいざというときには残る家族に迷惑にならないようにしたいと願います。

沖縄の真っ青な空を悠々飛んでいるであろう父、いつまでもみなの心に残っていますからね。

ここまで読んでくださった あなたに感謝。<(_ _)>

 

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