ハーセプチン9クール目のこの日。全18回の内、やっと半分まできました。
術前のFECやドセのときのような事前の血液検査もなく、ハーセプチン単独は比較的に楽です。病院の待ち時間さえ我慢すれば、点滴自体は40分くらいで終わります。 😀
さてFECの副作用で血管炎がおき、血管が縮んで右手の腕はくの字になってしまったままです。血管数本にそって凹んでおり、肘から手のひらまでのお肉のつき方が本当に変です。重い荷物も持つことができません。
なすび先生「ひじの内側をちょっと切れば、すぐ治りますよ!」って
・・・・・こんなことならば、FEC始まってすぐ腕が痛いって訴えていたのだから、早くCVポート勧めてください。^_^;
私はひとつ返事でお断りしました。また傷が増えるじゃないですかー絶対嫌<(`^´)>です。
もう外科(乳腺外科)の先生は切ることが専売特許とはいえ・・・と愚痴っぽくなってしまいます。
なので私の右腕は切らないで、ゆっくり血管が元気に戻ってくれるまで辛抱強く待ちます。
同じくFECを受けている方で血管の痛みがある方は、CVポートも検討してみてください。点滴中両手が使え自由ですし、腕の痛みから解放されます。
話しは変わりますが、少し前に息子にとって悲しい知らせが舞い込みました。
胃がんで闘病中だった父親が他界したとのこと。45歳でした。がんの摘出手術を受けてから1年3か月。
術前に胃だけではなく膵臓ほかにも転移があったそうですから、抗がん剤治療も受け、大変だったと思います。
息子はあまり父親とは会っていませんでしたから、私は息子に「がんの状態が悪そうだから、生きているうちに会っておいた方がいいよ。実の父親なのだから・・」と何度も言いました。一度病院を尋ねたそうですが、そのときは退院してしまっていて会えなかったようです。それからはたぶん一度も会っていなかったはずです。
息子のみ、全く行き来のなかった彼の実家へ弔いに行きました。息子と離れて暮らしているので、わが子の様子があまりうかがい知れませんでした。もともと父親から養育費もなく、小学校入学のお祝いや誕生日など一切なかったので、息子は父をあまり好いてはいませんでしたので、一緒に暮らす祖母には大丈夫だと話していたようです。
もし離婚しないで一緒に暮らしていたとしたら、ふたりほぼ同時期にがんになっていたということで大変だっただろうなぁと、ふと思いました。愛想をつかして別れた相手とはいえ、抗がん剤で苦しんでいたようですし、その苦しみから解放されたことが救いといっては変ですが、そんな気持ちになって彼の実家の方角の空に向かって静かに手を合わせました。
ここまで読んでくださった あなたに感謝。<(_ _)>