右胸の乳がん治療方針を決めるにあたって、
がんになった自分をどう考えたかお話しします。
そんなの聞かなくていいですっていう人は読み飛ばしてくださいね。
まず、乳がん発覚前から
私は万が一、不慮の事故などで息子を残して逝ってしまう場合に備え
「万が一の場合、このフォルダに大切なもの全部入っているからね。」と日頃から息子に伝えてありました。
その中には、解約しなければならないものや、
銀行口座など簡単に手引書も作って入れておきました。
うちの家系は離婚家庭が多く(^_^;)
もしものときに息子が頼りにできる人が数少ないのです。
20・30年先は特にそうです。息子の父も責任感に欠ける人のため、
のほほん息子にしっかりしてもらわなくてはという気持ちがありました。
死に対する恐怖が元々薄かったのかも知れません。
別に宗教団体に入っているわけではないのですけれど、
人間この世に生を受ければ、必ず終わりがあると思っていました。
たぶん昔から戦国時代の武将が大好きなので、
精いっぱい生きて、その時間の長さに関係なく、
キラキラ輝いていたあの時代の人に感化されたのかも知れません。
ということで、自分自身が乳がんにかかり、もしかすると・・・と考えても
自分で本当に不思議でしたが、少しのたじろぎで済みました。
自分の命に投げやりになったのではありません。
むしろ愛しく、日々大切に生きるようになっています。
この後の自分の生活について
- 命の長さよりいかに今まで通りに近いQOLを保てるのかを大事に
- 人になるべく迷惑をかけないように
要するに、今までと変わらず、特別扱いされることなく、人に迷惑をかけず、
大好きな旅行に行ったりしたかったわけです。
ですから、全摘で身体が変わったら、引っ込み思案(どこが?(。・ω・。) な私は
温泉へも行けなくなるのではと思い、
身体の変化に自分自身相当のショックを受け、打ちひしがれるだろうと予測できたのです。
同時再建であれば、少しはショックも和らぐかもしれません。ただ、おひとりさまです。
かかる費用やこの先、仕事をずっと続けていけるのかという不安もありました。生活保護は嫌です。
また、新しい病院のなすび医師は同時再建には否定的で、
全摘の後、2年ほど後に再建手術をとの話しでしたので、
より一層全摘は選択肢になかったのです。
ただ温存手術後、同じ乳房に再発した場合、
放射線治療を受けているので再建手術が難しいのではと考えました。
放射線治療をすると皮膚が伸びにくくなると書いてあるサイトがあったからです。
そのときは自家組織で背中やお腹から皮膚や脂肪を移植するらしいですが、傷跡が増えます。
ですから相当悩みましたが、
温存の可能性があるのならば、抗がん剤治療をしよう!
それでも抗がん剤の効き具合によって、全摘も視野に入れなくてはいけないということも念頭におきました。
また、抗がん剤の副作用は半端ないとも理解していました。
一縷の期待を胸に(がんちゃんも右胸に)抗がん剤治療に向かうのでした。
ここまで読んでくださった あなたに感謝。今回は長かったですね。ごめんなさい<(_ _)>