ゆらゆらゆっくり波にゆれるチンアナゴくん。
こんな風にゆっくり、スローペースで生きてみようと決心した私。この頃会社に退職の意を伝えました。
別室で社長と部長との面談です。まず病気を告白しても雇い続けてくれたことに感謝。
完全週休2日制ではなかったので最近身体がついていかないこと、通勤に片道車で1時間かかり、しかもマニュアル車で渋滞、手足が痛くて毎日憂鬱なこと。(無論車の買い替えなどできるはずもなく)
キーボード操作も同様で、集中力も長時間続かず、横になりたいと思うことが増えたことなど説明しました。これ以上迷惑もかけられないし、そう思っている自分自体が押しつぶされてしまいそうな感覚も抱えていることを吐露。
始めは「パートさんでも続けたら」とおっしゃって頂きましたが、通勤が辛く、電車やバスに切り替えると1時間半はかかります。いろいろ話し合いましたが私の決心は固く、退職を受理してもらえました。ただ次の人が見つかるまで居てくれとのことで、このとき期限はしっかり話し合いませんでした。
この頃の私はかなり弱りきっていて、ノルバで一時増えた体重もまた減少、元気なときよりも6kg減っていました。実際、本音をいうとこの会社に対する不満も少しはありました。言い過ぎかもしれませんが男尊女卑的な面があり、掃除の類は女性のみ、また女性の給与は低く抑えられ、息子が社会人になって即座に収入は彼の方が上回りました。
分煙もされておらず、抗がん剤で吐き気のあるときにはとても辛かったこともあります。入社当初はお局様による村八分も数年経験。後半になってようやく誤解が解け、皆に実力が認められた時期に乳がんになりました。
息子が高校生のときにはまだ必死に頑張ったのですが、今は自分の食い扶持のみ稼げばなんとかなるので背負っていたものがおろされ、気が抜けた状態だったのかも知れません。それまでがむしゃらだった自分の生活に少しのご褒美というか、ゆっくり過ごそうよという気が起きました。経済的に苦しくなることは目に見えていましたが、ともかくこの時期は『休みたかった』の一心でした。
別れた夫が胃がんで先に逝ったことも少なからず気にかかっていたのかも知れません。乳がんにかかってから死への覚悟はとっくにできていたつもりでも、実際に間近で経験するとなお一層迫ってきます。もし、私に残された時間もそう長くはないのだとしたらこのままで良いのだろうか?と感じていました。この気持ちはずっと抱えていたもので、体調不良と共に私の中での問題が大きくなりました。
クヨクヨすることや悩んでいる状態が健康体でないこの身体にいいわけがありません。それでスパッと決心し、退職を告げるとなんだか気持ちが楽になりました。よーし、次の新人さんが来るまで頑張るぞ(ง •̀_•́)ง
(このあと頑張りがすぐには終わらず、2か月あまり続くのでした・・・)
ここまで読んでくださった あなたに感謝。<(_ _)>