乳がんサバイバーのわたし。父・母系に一切がんになった人がおらず、私が一番手だったのに・・・
ついに2番手が出てしまいました。私が11歳の時に離婚して、その後新しい家族と共に仲睦まじく暮らしていた父です。離れて暮らしていたら、さほどショックも無い?いいえ、そうでもありませんでした。
両親は私が10歳の時に1度目の離婚、実はそのとき私は父についていくことに決め、母・弟と別れて暮らしました。でも学校の後、誰もいない家に戻ると寂しさに耐えきれず、窓に座って外に足を投げ出し良く泣いていたのを思い出します。お父さんっ子だったので、復縁して家族一緒になったときはとても嬉しかったけれど、幸せはすぐに去ってしまい、2度目の離婚。
でも父と仲の良い私は、それからもちょくちょく父と会い、父の奥様であるおばさんも、義理の弟もその奥様とも家族ぐるみでずっと良いお付き合いをしてきました。
前回会ったのは私が乳がんになって抗がん剤治療に入る前、父には心配かけないように何も知らせず、うちの息子を連れて行ったきりになっていました。病気を内緒にしている分、いくらか足が遠のいていたことは事実で、最近は年賀状や電話のみ。
ところが急に連絡があってあちらのご家族と会い、病状を知りました。久しぶりに会った父は、歩く歩幅が15センチほど、杖をつき痩せてきていました。
聞けば元々患っていた糖尿病が悪化、インスリンを毎食前に打っていたそうです。昨年末に吐血、それでがんが判明、すい臓やほか臓器、原発がんも特定できずという状況。本人はもう抗がん剤はやりたくないと言い、「入院が嫌いだから、残りの時間余生をゆっくり送りたい。」とのこと。
父も生検をしたそうですが、それでも原発不明、体力も弱ってきているので手術もできない状態。抗がん剤治療を主治医は勧め、家族も泣きながら頼み込んで治療を受けるように説得したようですが、父は拒みました。たぶん父の年代では『抗がん剤=洗面器を持ってずっと嘔吐しまくる』というイメージだと思います。
すい臓には血管が少なく、抗がん剤が効きにくいがんだということはわかります。それでも家族としては少しでも永く生きていてほしい。72歳ですが、まだあきらめないで欲しいと願うのです。「私の方ががんの先輩よ!抗がん剤治療だって頑張れるのに!」って言いたいところを我慢、それでもあちらの家族には私が経験したことを今回伝えました。もちろん父本人には内緒のままです。
私としては抗がん剤を1回でもいいから試してみて、駄目だったら止めればいいのにという気持ちが強く、父に説得してみたいと義理の弟夫婦に相談しましたが、「それは止めてほしい。傍でずっと父をみているとそれを言いだせる状況ではない。」とのこと。父は極端な頑固で、絶対に人の意見を聞かない性質なのをわかっているので、傍にいて看護も何もできない私は、本当に何もできないのです。
沖縄生まれで沖縄が大好きな父、「沖縄ももう行かなくていいや。近場でも俺は幸せだもの・・・」なんて寂しいことを言います。私の弟や母は父と離れている期間が長く、それほどショックはない様子。でも母の気持ちもわかります。散々苦労をして離婚した元夫、がんだとわかっても他人事のように思える・・・私も元夫が胃がんで亡くなったと聞かされた時、同じような心境だったからです。何か他人事のような気持ちで、亡くなったことに関してはとても気の毒に思い、空に向かってお祈りしましたが、後で聞けばうちの息子も同様だったようです。
今回は大好き父のこと、近くに共感してもらえる人がおらず心細いですが、私に何ができるのだろうかと日々自問自答しています。神様、どうか少しでも痛みが少なく、家族に見守られて残りの人生を幸せに過ごせますように。そしてがんが不治の病ではなくなる日が早く訪れますように。
ここまで読んでくださった あなたに感謝。<(_ _)>