今年の2月に久しぶりに会った離れて暮らす父は、原発不明の転移がんにかかっていました。その時は一緒に食事や会話を楽しんでいましたが、今回は違いました。かなりショックです。
2月に杖をつきながらもゆっくりと歩く父を見てから「病状が悪化していたらどうしよう・・」という不安で電話さえかけられないときがあり、やっと電話をしたのが3月下旬です。
父の伴侶であるおばさまからの病状説明で、この時点で要介護3の認定を受け、介護ベッドの上で寝ている状態だということ。『足のむくみがひどく歩けないので寝ているけれど、私に大声で怒鳴りつけたりすることもあるのよ』と明るく話してくれるおばさまの心遣いに感謝。<(_ _)>
この時の電話口の父は、はっきりとしゃべっていて「おばさまは良くしてくれているのだから、怒鳴っちゃだめよ!」なんて楽しい会話でした。息子の嘘がわかる前だったので、父も『受かったら、孫に自作のゼロ戦を譲るよ。』と、雑誌の表紙まで飾ったほどの往年の作品を、飛行機大好きなうちの息子に譲ることをそれは楽しみにしていたのです。
あの後息子の嘘が発覚、父には伝えられず、早く一緒にお見舞いに行けるように休みを取ってと息子をせかしてやっと2人で行けたのが4月下旬。父は昔の面影が吹き飛んでしまうほど、変わり果てていました。
介護ベッドに横たわる父は、腹水でお腹がかなり腫れあがっており、手や指もアンパンマン位にパンパン、足はタオルケットに隠れ見えませんでしたが、同じ状態だとのこと。寝返りもできず、でも意識はあって、私や孫である息子も認識できて嬉しそうですが、私は泣きそうになる自分を抑えるのがやっと。
でもおばさまやすぐ隣の部屋でお仕事中の義理の弟夫婦、8歳と5歳の孫たちがすぐ傍でいつも父を見守り、とてもあたたかな残りの人生を生きているのだとすぐわかり、感謝しかありません。私と息子は2人で手を握ってさすってあげることしかできませんでした。
おしゃべりが大好きな父なのに、言葉を発する力も弱く、歯茎もやせ細り、力を振り絞って話す声がうまく聞きとれません。「痛いところは無い?」と何度も聞くと、うんとうなずく父。おばさまによるとまだ痛み止めはロキソニンしか飲んでおらず、食事も少ないけれど、そうめんや果物のやわらかいものを食べているそう。酸素吸入の管は鼻に入っています。目の瞬きは今まで通り、目の奥の表情が見て取れます。
腹水のせいか呼吸も発声もかなり大変そうで、疲れさせてしまうのでは?と心配し、「ごめんね。私たちがいると疲れさせちゃうね。」と私が言うと途切れ途切れの言葉で『実の娘が来て、疲れるやつがあるか!』という父に涙がポロリ。そそくさと涙を見せないように父から遠ざかり、またすぐに戻って腫れあがってしまった手、少し冷たくなってしまっている腕をさすりました。
介護士めざし仕事をしながら勉強中の息子だからこそ、状態が良くわかったようですが、彼も必死に手を握り、すぐそばでじぃちゃんを労わります。父はもうゼロ戦を譲る話をすっかり忘れてしまっていましたが、息子は小さい頃からじぃちゃんに諭されたことなど思い出したようで、たくさん父に話しかけてくれました。ありがとう。
「また来るからね!」と父に声をかけ早めに帰宅しましたが、次があるのかがとても不安でなりません。それでも息子と次回の休みを合わせ、またお見舞いに行くつもり。どうか父の痛みが少なく、まわりのご家族の心労が少しでも軽くなりますように。締めつけられるこころに手を置き、ぐっと耐え祈るばかりです。
ここまで読んでくださった あなたに感謝。<(_ _)>