久方ぶりの里帰り その1

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ

お久しぶりのsoraは、まだまだせわしなく生きております! 😳 
前回から書きそびれている久方ぶりの里帰りをどれだけ温めているのかわかりませんが、やっと書きますね。

昨年末に20数年ぶりに沖縄に里帰り、苦行でしたーと書きました。沖縄へというと周りの人は揃っていいなぁ~と羨ましがられますが、私は全くもってそんな浮いた気がさらさらありませんでした。

原因は親戚付き合いで見たこともない遠い親戚を含め、ご挨拶やらその年の慶事・法事のお金を包んで渡したりお土産等・・・皆さんの田舎でもこのような風習はあると思いますが、うちの田舎は飛び抜けてキツイのです。飛行機運賃などの交通費にあちらでの滞在費、諸々合わせるとハワイ位は軽く行けてしまう程。

そのため、赤ちゃんだった息子を一人で育て始めてからは1回しか里帰りしませんでした。余裕が無かったというところが正直なところ。祖母や祖父が無くなったときも遠くから手を合わせ、堪忍して貰いました。

今現在も乳がんサバイバーでパート勤め、生活費は折半ですので余裕は全く無く、昨年退院した母の『死ぬまでに田舎に帰りたい!』という希望を叶えるため、久方ぶりの帰郷を決意したのでした。

さてレンタカー付きの全日自由行動のプランに申し込み、息子も転居後間もなかったのですが祖母の介助はプロなので同行をお願いしました。息子は1、2歳の時に行ったきりですので何も記憶がないらしく期待半分、苦労も承知で付いてきました。親子3世代、出発時から母と私で大喧嘩です。

「荷物は移動が大変だから最小限にするように口をすっぱくして言ったじゃない!」と母の重ーい荷物を抱えて階段を上り下りしながら文句を言う私、母は母で「だから来なければ良かったのねっ!」と羽田でオイオイ泣き始める(/_;)・・・私がなだめようとしようにも母はプイっとそっぽを向き、無言を貫く。それをわが息子がなだめる・・・とカオス状態で飛行機に乗ったものです。

沖縄郷土食 ソーキそば

まぁでも現地に着けば喧嘩している間なんてありません。母の実家や親戚へのご挨拶で数十カ所、母を乗せて車移動、気が付けば夜のホテルでぐったり・・・。母は久方ぶりの親類、友人との再会でハイテンションでした。息子もよく動いてくれて荷物を持ったり、階段で祖母の手を引いたり大活躍でした。感謝しつつ、次回続き書きますね。

ここまで読んでくださった あなたに感謝。<(_ _)>

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ follow us in feedly
こちらの記事もどうぞ

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です